阿羅漢(あらかん)
◆阿羅漢(あらかん)
阿羅漢は、サンスクリット(古代インドの雅語。梵語。)の「アルハト」の主格形である「アルハン」の漢字による音写(ある言語の発音を、他の言語の文字で書きうつすこと)。
「アルハン」の訳は「応供(おうぐ)」で、尊敬・供養(くよう:供物を真心から捧げること)を受けるに値する聖者(しょう-じゃ)の意。
阿羅漢は、もとは古代インドにおける優れた宗教的修行者の呼称であったが、仏教はそれを取り入れて仏陀の異名として用いた。
をご覧ください。)の一つである。
しかし後には、小乗仏教(しょうじょう-ぶっきょう:部派仏教〈ぶは-ぶっきょう:お釈迦様の死後百年から数百年の間に、仏教の原始教団が分裂して成立した諸派を総称して部派仏教という。〉のこと。出家して修行を積むことを通してのみ悟りに達することが出来ると説く。得られる最高の悟りは阿羅漢で、仏陀になることは目指さない。救われる対象は、出家して修行した本人のみ。声聞乗〈しょうもん-じょう〉と縁覚乗〈えんがく-じょう〉。※声聞乗・縁覚乗については、
をご覧ください。)の最高の悟りに達した聖者のことを阿羅漢というようになり、仏陀とは区別して使われるようになった。
阿羅漢は、すべての煩悩を断ち切り、もはや学ぶべきことがないという意味で「無学(むがく)」ともいう。
また、阿羅漢を略して羅漢(らかん)ともいう。
なお、仏陀は阿羅漢とは違い、煩悩を断ち切っているだけではなく、大悲(だいひ。※大悲については、
をご覧ください。)などの利他(り-た)の心を具えている。
利他とは、人々に功徳(くどく:幸福をもたらすもとになる善い行い。また、それにより得られる恵み。)・利益(りやく: 仏陀・菩薩が人々に恵みを与えること。仏陀の教えに従うことによって幸福・恩恵が得られること。また、神仏から授かる恵み。)を施して救済(ぐさい:救いとって、悟りに至らせること。)すること。
◆聖者(しょう-じゃ):見道(けん-どう)以上の人。見道とは、修行の階位の一つで、修行を重ねてきた者に、初めて無漏智(むろ-ち:煩悩のけがれのない清らかな智慧)が生じ、四諦(し-たい:四つの聖なる真理。仏教の説く四種の基本的な真理。※四諦については、
をご覧ください。)の理を明らかに知ることが出来るようになる位。見道に入ると、修行者は聖者と呼ばれる。
それが終わると修道(しゅ-どう:見道で悟った真理を、現実の出来事や現象の上で反復して修錬をつむ位。煩悩を断ち切る段階。)に入る。
修道を完成させると、無学道(むがく-どう:すべての煩悩を断ち切り、学ぶべきものがなくなった者が入る境地)に入り、阿羅漢となる。
無学(無学道に同じ)に入る以前の段階を有学(うがく)といい、有学に属するものに見道と修道がある。
以下を参考にしました。
○コトバンク 阿羅漢
https://kotobank.jp/word/%E9%98%BF%E7%BE%85%E6%BC%A2-27700
○コトバンク 聖人
https://kotobank.jp/word/%E8%81%96%E4%BA%BA-86018
○新纂浄土宗大辞典 見道
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%A6%8B%E9%81%93
○新纂浄土宗大辞典 修道
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BF%AE%E9%81%93
○新纂浄土宗大辞典 無学道
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E7%84%A1%E5%AD%A6%E9%81%93
○コトバンク 小乗
https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E4%B9%97-79334#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89